エジプト・トルコの旅(日記風・工事中)
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2003年9月13日(土)から20日(土)まで
エジプト・トルコの旅には2003年春出発の別のツアーに申し込んでいました。しかしイラク戦争前の緊張の高まりによって、旅行は中止になりました。今回は2度目の挑戦で無事に旅行に行ってくる事が出来ました。
2003年9月13日(土)往路、カイロへ向かう
その1:いざ、エジプトのカイロへ向けて出発だ!
朝1番のバスに乗る所からこの旅が始まった。今日はエジプトの最初の宿泊先に向かう。バスの終点の駅から羽田空港まで直通の電車が走っていたので乗り換えなしで空港に着いた。
羽田空港なんてめったに行かないから何だか緊張する。というか私はいつも旅行の始め辺りでは調子が出ないのだ。ともかく航空券を受取り、スーツケースを預けた。次にスーツケースに出会うのはカイロの空港だ。ちなみに今日は3回飛行機に乗る(羽田→関西→トルコのイスタンブール→エジプトのカイロ)。
大阪(関西)行きの飛行機に乗った時には既にホームシックにかかっていた。なんたって海外旅行は1年振り。おまけに神経質。緊張は高まるばかり、と思っていたらいつの間にか眠っていてあっという間に大阪(関西)に到着していた。
ここで5泊8日エジプト・トルコの旅に参加するツアーメンバーに合流した。ちなみにツアーメンバーは私を含めて計20名。加えて添乗員さんが1名いる。
ここでならまだ帰ることが出来ると思いつつ、トルコ航空のイスタンブール行きの飛行機に乗ってしまった。これでもう旅行に参加する以外に家に帰ることは出来なくなった。
その2:長いフライト、長い1日:エジプトのカイロのホテルに到着
大阪からイスタンブールまで13時間以上かかった。トルコ航空ではイスラム教徒に配慮して、機内食に豚肉は出ない。飛行中映画が3本上映されたが エディ・マーフィー主演の"Daddy Day Care"が1番面白かった。イスタンブールに到着後、飛行機を乗り換えてエジプトのカイロに到着。エジプトに入国後、米ドルの一部をエジプトポンドに両替した。
専用バスに乗り換えて宿泊するホテルに到着。到着時刻は現地時間で翌14日の午前2時、日本時間で翌14日の午前8時だった(時差はこの時期6時間)(@_@)。空には月と火星がはっきりと見えた。明朝から観光が始まる。
最初に泊まったホテル「ソフィテル スフィンクス」
写真中央はツタンカーメンの番人の内の片方のレプリカ
このホテルには3日目にもお世話になりました。
2003年9月14日(日)ツタンカーメンとピラミッド
午前中:エジプト考古博物館見学
さあ、いよいよ観光初日。午前中はエジプト考古博物館の見学。お目当てはもちろん「ツタンカーメンの黄金のマスク」である。
エジプト考古博物館の外観
中に入ろうとしたら
飛行機に乗る前と同じくらい
厳しいセキュリティチェックが待ち受けていた。エジプトではもう1箇所博物館に行っているがベルトまで脱がされたのは初めてだ。ちなみにカメラを持ち込むにはお金が必要だった。
エジプト滞在中は魔法使いのサリーさん(=サリーさんの愛称)が現地ガイドとして冗談を交えた素晴らしい日本語で解説をしてくれた。バスの中ではアラビア語講座まで開講してくれた。
なお、このツアーは強行軍だったため、説明などをのんびりと聞いていたら写真を撮る暇などないことに後で気づいた。
それでツタンカーメンだが彼は9歳で王に即位し、18歳で亡くなったそうだ。彼の棺はまず私の部屋に入るか入らないか位の大きな直方体をしていた(外側は金で装飾されていた)。その中には一回り小さな同じような形をした棺があった(見ることは出来たが写真に全形を捉える事は出来なかった)。見ることは出来なかったが更に内側には一回り小さな棺が入っていてその内側には…(以下省略、ロシアのマトリョーシカという人形みたいになっていたのだ)。そしてようやくツタンカーメンのマスクが置いてある部屋に行った。その部屋だけ薄暗く冷房が効いていた。この日は外で日に当たると暑いのであった。それでは写真をどうぞ。
右の写真がツタンカーメンのマスク。中央はその外側の棺。左は更にその外側の棺。
椅子もやっぱりキンキラリン
足元には敵の絵が書いてある。この椅子に座ると自動的に足が敵を踏み潰す事になるのだ。写真はないが、杖も手で持つ部分に敵の絵が書いてある。杖を握るたびに敵を握りつぶす事になるのだ。
その後、別料金を支払って撮影禁止のマミー(ミイラ)室を見学。こちらでは心臓を除く臓器は取り出して、数種類に分別していたらしい。心臓は後に審判の際に使われると考えられていたため体内に残していたらしい。ミイラは褐色の包帯のようなものでぐるぐる巻にされていた。これらは昨年、中国新疆で見たミイラとは随分異なる。中国新疆でみたミイラは生前の姿そのもの。服も着ているし、内臓も取り出してはいない。
昼食:エジプト名物の鳩料理
毎食写真を撮っているわけではないが、これは名物料理と聞いたので撮影してみた。ハトは鶏より小ぶりで骨が多いような気がしたが味は良し、但し脂っこかった。私はここでマンゴージュースを飲んだのだがおそらくこの事がトルコで昼寝を実現させてくれたのかもしれない。
午後:ギザの三大ピラミッドとスフィンクスの見学
いよいよピラミッドとご対面だ。しかしいざ遠くからピラミッドを見てみると……、私はがっかりしてしまったのだ。その小ささに。どうやら私はピラミッドの大きさを勘違いしていたようだ。富士山やエアーズロック位大きいのかと思っていた(←これは冗談だが)。かくしてピラミッドはこの旅行の中での3大がっかり名所のひとつになってしまったのだ(がっかり度は高知のはりまや橋級)。なお、ここは暑い。幸い風が吹いていたが、日陰に入らないと辛い。水分補給は欠かせない。ちなみにエジプト観光中はミネラルウォーターがバスの中で売られていた(エジプト人も飲むらしい)。
先程小さくてがっかりなどと書いたが、本当はピラミッドはでかい。その大きさはピラミッドに近づく事によって確かめられる。私(写真中央に青い服を着て立っている者)と比べれば一目瞭然だ。私の足元に白くて斜めになっている部分がある。これは後から修復したものと思われるが、本当はピラミッドの全体にこの化粧石が施されていたそうだ。ピラミッドはまさに四角錘だったのだ。それが2000年程前の大地震でカフラー王のピラミッドの上部を除き、化粧石は崩れてしまったらしい。我々はメンカウラー王のピラミッドの中に入ったが蒸し暑いだけで何もなかった。通路は天井が低いので私は頭を数回天井にぶつけてしまった(>_<)。
私とピラミッド
左からカフラー王のピラミッド、ギザの3大ピラミッド、スフィンクス
スフィンクスのひげは英国の大英博物館にあるらしい。
最初にピラミッドが小さいと思ったのは、遠くから見ていたからであることが分かった。ピラミッドの全形を見るには、ある程度ピラミッドから離れなければならなかったのだ。
ピラミッドの見学を終え、我々は次の訪問地であるアレキサンドリアに向かった(移動距離は約220km)。保安上銃を持った警察官がバスに同乗するといわれていたが、バスに乗っている警察官を私が見ることはなかった。
2003年9月15日(月)
アラビア語
と
アレキサンドリア
その1:魔法使いサリーさんのアラビア語講座
エジプトを案内してくれた魔法使いサリーさん
彼女はツアー同行中、サングラスをはずす事はあっても、頭からかぶっている布を取ることはなかった。
サリーさんは魔法の杖を持って「魔法使いのサリー」と自己紹介されました。
上に見えるのは5ピアストル(=5/100エジプトポンド)札の表と裏だ。右側の面に書かれている数字は、普段日本人が使っている数字だが、エジプトでは通常左側の面のアラビア語の数字を使っている。あの卵みたいで"0"みたいな文字は"5"を表しているのだ。バスのナンバーも左側の面に書かれている数字を使って表記されていたので、魔法使いサリーさんに教えてもらうまで数字が読めず、どのバスに乗ればよいか戸惑うこともあった。
話はかわるがはるか昔まだ消費税が導入されていない頃、私は「アラビア語入門(カセットテープつき)」6,000円を購入してアラビア語の勉強をしようとしていた。しかし今回の旅行で役立つ事は殆どなかった。(T_T)
この本で勉強したお陰で旅行前から知っていた事と言えば「エジプト」
の事をアラビア語では「ミスル」と発音する事くらいだった。(T_T)
私はアラビア語って何て難しいんだろうと思っている。しかし、魔法使いのサリーさん曰く「アラビア語は簡単、日本語の方が難しい。」おそらく文字の数が違うからそう思うのであろう。なんたって日本語には漢字があるからね。でも私はアラビア語の文章を文字に分けることが出来ない。
その2:海に近いアレキサンドリア観光
アレキサンドリアでは「ヒルトン ボルグ エル アラブ」という宿に泊まった。この宿、海のすぐ側に建っている。そこで朝、宿を出る前に海に出た。少しばかり波があったが(私にとって)初めての地中海タッチを行った。海は世界中つながっているからどこを触っても同じと言えば同じとは思うもののついこういうことをしてしまう。
地中海初タッチを行った私、O脚である
今日はまずはカタコンベに向かった。途中市電に出会った。カタコンベに到着後、地下墓地を見学した。しかし地下墓地内部の撮影は許されなかった。仕方なく地上の写真を載せておく。
街中を走る市電(左)
カタコンベの上の様子(右)
このカタコンベは地上にいたロバが、地下に落ちたために発見されたらしい。
続いてポンペイの柱と呼ばれる所に行った。この辺りで牛の姿をした神などが発見されたらしい。ちと辺りを見回すとアパートが見られた。アレキサンドリアは日向は暑いが日陰はやや涼しいと感じられた。
ポンペイの柱(左) ポンペイの柱付近の民家(アパート)(右)
アレキサンドリア観光の最後に、グレコローマン博物館に行った。写真は撮れなかったが「ロゼッタ・ストーン」のレプリカや、シーザーの彫像などが展示されていた。以下写真に撮れたものを紹介する。
ポンペイの柱付近で発見された牛の姿をした神
アレキサンダー大王(左)とクレオパトラ7世(右)
名前からも分かるようにアレキサンドリアはアレキサンダー大王が開いた港町である。クレオパトラ7世の像は私が思っているクレオパトラのイメージとは随分異なって見えた。後にイスタンブールで見たベリーダンスのダンサーの方が私の持つクレオパトラのイメージに近い。
最後にカイト・ベイの要塞を背景に写真を撮り、再びカイロに向かった(移動距離は約220km)。カイロではパピルス(紙)のお店に立ち寄った後、初日に宿泊したホテルでしばらく休んでからエジプトを後にした。翌日よりトルコの観光が始まる。なお、私はこの頃から体調を悪くしていった。
要塞にはエジプトの国旗が掲げられている(左) 夕食を食べるレストランの前にて(右)
その3:エジプトのお土産
エジプト土産としてはパピルス(紙)が有名だ。しかし下記のしおりのような偽物も存在する。但し、本物か偽物かどうかは、水に溶かしてみないと分からないらしい。もちろん本物はそれなりにお高い。
偽パピルスのしおり(絵柄は様々)10枚1米ドル
その他には象形文字を刻印した貴金属製品やT-シャツなどがあった。アルファベットと象形文字が対応していて自分の名前などを刻印、刺繍してもらえるのだ。
写真左からアルファベットと象形文字の対応表、象形文字を刺繍したT-シャツ、象形文字を刻印した金のネックレス。
私は写真中央の象形文字を刺繍したT-シャツを購入した。左の対応表と照らし合わせれば、上から T・A・K・U・G・E・N と刺繍されていることが分かる。
自分の名前だけでは文字数が少なすぎると思ったらスカラベ(=糞ころがし:太陽の運行をつかさどる神)などを刺繍してもらう事も出来る。貴金属製品でも同様だが写真右の金製品の場合、文字数が増えるほど長さが長くなり、重くなった分だけ値段は上がる。
象形文字の外側の枠はカルトゥーシュと呼ばれ、
古代エジプトの王(ファラオ)の名前を書くときに使われたものだ。ファラオか、私も偉くなったもんだ(冗談です^_^;)。
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