ウィーン・ザルツブルグ珍道中
  シュテファン寺院



 渡英して2週間足らず、ウィーン旅行に行くことにした。ウィーンは音楽をやるものにとって憧れの地。

 学校で3週間の英語コースの途中だったが、母が渡英してくることもあり、英語コースを休み、予約をした。

 そこは日本の大手航空会社だったし、安心していたのだが、間際に予約がなぜか取消になったと突然電話があった。

 あー今思い出しても腹が立つなぁ。なぜそんな不手際が起きたのか? 若かったし、それ以上問い詰めることもなく、泣き寝入り。

 音楽祭が開催されていて、どうしても飛行機が取れない。でも何とかして行きたい!!いくつかの旅行会社をあたってみた。

 すると、他の方法がありますよ、と親切に教えてくれる会社があった。それは、まずロンドンから飛行機でドイツのミュンヘンに飛び、

 そこから鉄道でオーストリアのザルツブルグに国境越え。ザルツに1泊した後、また鉄道でウィーンに行くというもの。それしかない!と決断。

 ミュンヘンは以前に足を踏み入れたことがあったので、親しみもあった。不安もあったが何とかなるさ、と持ち前の楽天さを発揮した。

 いざ出陣。ミュンヘン空港に到着し、何もわからぬまま、ザルツ行きの鉄道乗り場を探す。でもそれらしき標識はない。心細くなってくる。

 さすがにミュンヘン空港には日本人らしき人もいない。空港の人に聞くと、忙しそうに、あそこの人に聞いてと、次々に回される。

 インフォメーションにも人はいない。

 まだその頃は英語もままならなかったので、言ってる事がよくわからない。どうしょう、最初から、つまづいてるよ。

 すると、ザルツ行きのバスがあることを発見。バス停で時間を確認して、その時間にバス停に戻ってくる。

 しかしバスが来ない。他に人もいない。どうして? そしてはっ!と気づいた。ロンドンとミュンヘンには1時間の時差があったことを!! 

 時計を合わせ忘れていた。ガーン…バスは行ったばかりだった。

 また空港内に戻り、人に聞きまくり何とか鉄道に乗れた。やれやれ。でもどこで降りるのかイマイチわからない。乗り換えが必要なのだ。

 数十分ゆられていただろうか、ある駅に停車した。

 8月なのに、ホームにいたおばあさんはセーターを着て、スカーフをまいて風にふかれていた。寒そう。

 すると、母が地図を片手に、あっ、ここで降りなきゃ!えっ? 腕を捕まれあわてて降りた後、電車のドアが閉まった。

 危機一髪!!あのまま乗っていたらと思うとぞっとする。それから乗り換えて無事にザルツブルグ駅に到着。ふーっ。

 そしてホテルを探さないといけない。ヨーロッパの町は、道にすべて名前がついているので日本よりもわかりやすい。しかし、やはりわからない。

 道行く人をつかまえて地図を見せる。するとおばさんがちょっと待って、とめがねをはずすが、字が小さくて見えない!

 という風なことをドイツ語で言った。聞く人を間違えたようだ。もっとドイツ語やっておくんだったなあ。

 ザルツはサウンド・オブ・ミュージックの舞台にもなった静かな街で、なかなか中心部以外では人が歩いていない。何とかホテルに到着。

 その後、街の中心部、モーツァルトの家や劇場、などを地図とガイドブック片手にまわった。

 急斜面の山がせまり、静かな空気が流れる美しい街だ。

 夕暮れに橋の上で流れる河を見つめた。一生忘れない景色だ。

 8月なのにもうすでに暗く寂しい。静寂な街に、教会の鐘が響き渡る。

 ここには住めないかな…と思う。留学先をどこにしようかヨーロッパを周った時以来、ここには住める、住めない、

 という判断をしてしまう癖がついてしまっている。

 音楽をやるには素晴らしい環境だろうが、娑婆っ気が強いからある程度都会じゃないと住めない。ここはきっと寂しくて無理だろう。

 次の日は、まずミラベル庭園に行った。ミラベル庭園もサウンドオブミュージックの舞台になった所で、思わずその踊りと歌を再現。

 次にいよいよウィーンに電車で行く。ガタンゴトン…古い電車で、木製の座席に揺られる3時間の旅だ。

 ウィーン。気品あふれる何とも言えないイエローの壁の建物が並び、緑があふれる美しい都市だ。オペラ座、公園、王宮、

 そして、シュテファン寺院が堂々たる姿で、ウィーンの街にそびえ立つ。迷っても遠くにシュテファン寺院が見えるので、だいたいの方向がわかる。

 中心部にリンクという路面電車が走っている。地下鉄も駆使して散策。

 基本的にたいていケチケチ旅行なので、あまりタクシーは使わないし、食事も適当に済ませる。

 郊外のシェーンブルン宮殿。ウィーンハプスブルグ家の遺産なのだが、これが豪華ですごい。鏡の間、陶器の間、

 これでもかというくらい豪華な部屋が続き、あきれさせる。

 ヨーロッパ各地のお城を見てきたが、後にも先にもシェーンブルンほどすごい宮殿は他にない。

 これだけ贅沢をしていたら、市民の反発を買うに決まっている。

 高校で世界史をやらなかったせいで知識が乏しいので、欧州各地をまわることは、歴史の勉強になる。

 ウィーンは、福岡市と同じぐらいのサイズなので動きやすい。大のお気に入りの街となった。冬は寒いだろうが。

 ベートーベンの住んだ家(たくさんある)を探していると、バスを待っていたお兄さんが教えてくれた。

 親切な人でベンチに荷物を置いたまま、ここをこう曲がってと教えてくれるので、私はその荷物がもって行かれないか、と気が気でなかった。

 オーストリア人はとにかく大きい。みんながっしりしていて、アングロサクソン系と比べても、女の人もみんな背が高い。首が疲れるな。

 ハイドンもこんなに大きかったのだろうかと、想像してみた。

 が、次の年、またウィーンを訪れると感覚が違っていた。建物が平面に見え、モーツァルトの格好をした呼びこみの人など、あまりに商業的。

 ほっといてくれるイギリスとは違う。もちろん、美しすぎる街なのだが。ウィーンに住んでいる人からよく聞くことは、

 とてもウィーン子はプライドが高いということ。コンサートに行っても、クロークで私は常連よ、フンフンて感じだそうだ。

 日本の感覚が染み付いたままで行くのと、Londonに住んでから行くのには、こんなにも感じ方が違うのか。

 さて、いよいよLondonに帰ることになった。今度は飛行機でひとっ飛び。まず電車で空港まで行かなくてはならない。そこでまた乗り場を探す。

 ちょっと見てくる、と母を置いてホームに行ってみた。私はそのことをあまり覚えていないのだが、

 その時1人残された母は、こんなところではぐれたらどうしよう、と気が気でなかったら しい。空港行きのホームを見つけた。

 そして、電車が来た時、側にいたおじさんに、空港行きはこの電車でいいの?と確認してから乗った。

 それでもこれでいいのかと心配になり、そわそわ降りようかという気配を見せると、おじさんがNo, Noと教えてくれる。

 その親切な紳士は、私達が無事に空港に降り立つまで、じっと見守ってくれていた。

 こんな風で珍道中は終わった。まだ旅慣れておらず、準備不足だった為、大変な旅だった。が、これが止められないのだ。

 団体行動が苦手なこともあり、もう2度とツアーには戻れない。先日5才下の友達が、まだ外国に行った事がない。でも新婚旅行にとっておく。

 と話していたのを聞いて、かわいいのぉ..と思った。

 私なんか、きっとここの道はこうよ、地図貸しな、などと言ってダンナをぐいぐい引っ張っていくのが目に見える。かわいくないなあ。