孫子の兵法について

時代の変化に関係なく、本質的な部分で戦いに通用する兵法書

今から約2500年前、中国は春秋・戦国と言う大動乱の時代を迎えていました。つい昨日まで強勢に国力を誇っていた国が、ある日突然消え去り、辺境の地で生まれた新生勢力国家が、覇者として名乗りを上げる事になったり・・・・。
そんな頃、孫武とその3代下の孫ピンと呼ばれる、二人の軍事的天才の手によって、孫子13篇は編纂されたと言われています。
実際の所、この当時は、戦乱の時代でしたので、多くの軍事専門コンサルタント集団が生まれていて、孫子もその内の一つの流派だったようです。

現在、時代が変わっても孫子の兵法は、兵の本質に最も近い物として、多くの戦略家、戦術家に読み続けられて来たのです。

お薦め

孫子の人となりを知る入門書として、東周英雄伝 2 をお薦めします。中国春秋戦国時代の英雄達を描いた漫画です。
漫画ではありますが、台湾人である作者の大陸的な感覚が、日本人の描く中国物と一線を画している傑作です。

曹操注釈本

歴史上、孫子を最も効果的に運用した?三國志の英雄、曹操
・・・と言うか、現在残ってる孫子は、曹操の注釈文入りの物がベースになってます。

曹操註解 孫子の兵法

この本の出版社が朝日新聞と言うこともあり、少々、左よりな表現が有るのは、朝日仕様ですが、基本的な内容はかなり濃く、コンサル系の作者によって実践的な著書になっています。
お薦めです。

孫子は、計算の手法・理詰めでの戦争を説いています。
これは、敵見方、双方の情報を集め、互いの状態を計算して戦い方を決めていく手法です。
多くの歴史的な人物に多大な影響を与えました、そしてこの孫子兵法を最も効果的に運用した人物として、孫子へ自ら注釈文を入れ、その解釈を広く知らしめた、三國志で有名な曹操がいます。

曹操の活躍した時代背景

400年もの長さ、中国大陸を安定させていた漢王朝が倒れようとした混乱期、曹操は生まれました。
家柄や、儒教的な価値観が物を言う時代でもあった中、曹操は、儒教的価値観では絶対否定されていた、非情・邪・不逞・不仁不孝の否定的価値観を気にせず、実力本位の「唯才是挙」唯(タダ)才(サイ)のみ是(コレ)を挙(アゲ)げよ」と宣言し、人材を才能本意で招聘したのでした。

合理的価値観

混乱期とは言え、400年間の安定期を作り出し、人々の安寧の基礎と言うか、殆ど原理主義的な概念だった儒教の根本すら否定できる発想力、とんでもない批難が集中することすら恐れず、実力の有る人材を選び、要所へ配置し、それを運用することで時代に勝ち抜いて行ったのです。
だいたい、負けた側の将軍や、平兵士から自軍の将軍を抜擢したり、田舎の役人でも、ちょっとでも有能なのを見つけてきたら、さっさと上の重要な役職を与えるなんてまねをしたら、旧来の価値観に縛られた国はひとたまりもなかった事でしょう。

孫子を活用

曹操本人の才能は、同時代の将軍・軍師などから見ても、傑出した才能を持っていました。
政治・軍事・文化・思想・芸術・・・・多方面の分野でも才能を発揮し、同時代のあらゆるものに影響を与え、時代を急激に変化させた異常なぐらいの天才でした。
この才能を使って、孫子の兵法書へ自ら注釈文を入れ、部下の将軍達への教育マニュアルとし、最強軍団を作り出したのです。
通常、兵法書と言う物は、戦略の根幹ですから、門外不出の物です。ところが、曹操はそんな常識を超えて、人材の能力を上げるために大量のマニュアルを作成し、配ったのです。当時の常識では考えられないことです。
おかげで、このコピー本が大量に出回ってくれて、私たちも孫子を知ることが出来るのでした。

曹操評

現在、彼の評判は乱世の奸雄として悪名を残していますが、考えてみれば当たり前です。
漢の時代、教育を受けていた層などごく一握りだけであって、その他の一般の人間は、幾ら時代が乱れたとしても、曹操クラスの行った急激な変化について行けず、戸惑ったことでしょう。
変化に対応出来なかった人々が、もう一方の英雄、劉備に心情的肩入れを行ったのは、理解できると言うことです。

孫子って何だか凄そうですが、どんな内容なのかと言うと

孫子にとって実際に戦闘行為を伴う戦争は、最上策では無く、あくまでも戦わずして勝つ事が最上策と捉えられています。もし、戦わなければならないときは、いかに味方の損害を少なく且つ、素早く勝って戦争を終わらせるか。これらの事を命題にして、本文は記されています。
この様に書くと、凄い事が書かれていると思われるでしょうが、良く読むと当たり前のことを当たり前に書かれています。
この文章の中に含まれる、本質の部分を理解することが出来れば、必ず貴方の助けになることでしょう。

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